妄想倉庫「手紙」

手紙

「カオルー!」
 併設されている歩道の上に目指す人影を捜し出したルナは、エアタクシーを止め料金の精算をするのももどかしく車から飛び出した。
 名前を呼びながら手を振ると、相手もルナに気づいたようだった。驚いたように振り返る。
「ルナ」
「ええいっ」
 エアカーレーンの方が歩道より一メートルばかり高い。構わずルナは柵を乗り越え、歩道の上のカオル目がけて飛び降りた。慌ててカオルがルナを抱きとめる。
「……相変わらず無茶をする」
「久しぶりね」
 変わらない渋面と低い声。懐かしくてルナは笑った。





「うちに来てくれたって、チャコから聞いて慌てて追いかけてきたのよ。エアタクシーなんて久しぶりに使っちゃった。でも追いついてよかった。待っててくれればよかったのに」
 数分後、歩道を降りた二人は道端の無人スタンドでドリンクを片手に立っていた。風向を調整されている空気が二人の髪をわずかに揺らして流れてゆく。
「何カ月ぶり? 私はカオルに会えて嬉しいけど、わざわざ会いに来てくれるなんてどうしたの?」
 ルナは目の前に立つカオルの顔を覗き込んだ。彼はコロニー帰還後半年で学園を辞め、今は政府系の宇宙飛行士養成機関に所属していた。
「明後日、新造艦が試験航海に出る。それに乗艦することになった」
 淡々とカオルが言う。彼の年齢を考えれば異例の抜擢のはずだった。ルナは顔を輝かせた。
「すごいじゃない。いよいよパイロットとしての第一歩を踏み出すのね」
「まだ見習いだ」
「でも本当のことでしょう? おめでとう」
「……ああ」
 カオルの口元が僅かにほころぶのを見て、ルナはまた微笑んだ。
「何かお祝いしなくちゃね。いつ戻ってくるの?」
「二週間かけて第一係留ステーションに行く。その後は」
「うん」
「問題がなければ、向こうで補給を受けてそのまま長期巡航になる。三年は戻らない」


 さらりと告げられた言葉に、ルナは一瞬耳を疑った。
「そんなに?」
「新規航路開発のために造られた艦だからな」
「じゃあ……」
 ふとルナは思い出して言った。
「そのせいなの? この間ハワードが言ってたわ。『カオルの奴、借りていた部屋も荷物も全部処分してた』って――」
 だから探し出すのに随分苦労した――そうハワードは憤慨していたのだった。せっかくこの僕がハワード財団主催帰還三周年記念パーティー(スペシャルイベント付き)に招待してやろうといってるのに、と。
 カオルは頷いた。飲み干したドリンク缶を備え付けのダストボックスに放り込む。
「ああ。今は機関の宿舎にいる。どうせ訓練と準備でほとんど泊まり込みだし、その方が手間が省ける」
「でも、だからって……」
 何もかも処分してしまうことはないのに、と言いかけて、ルナは気づいた。
「カオル、もうロカA2には戻らないつもりなの?」
 我知らず声が硬くなった。
「そうは言ってない。ただ、三年も空き家にするんだ。誰もいない部屋なんて必要ないだろう?」
「それはそうかもしれないけど……」
 ルナは口ごもった。カオルがまた宇宙船に乗る。嬉しいのは嘘ではなかった。だが反面、ひどい寂寥感がルナの胸を浸していた。


 ふいにルナは肩に手が置かれるのを感じた。突然しゃがみ込んでしまったルナを気遣うようなカオルの声が降ってくる。
「ルナ? どうした?」
 ルナはぼんやりと口を開いた。そう、この手はまだここにある。けれど――
「あのね、みんなでコロニーに帰ってきて……、もう一緒に暮らすことはなくなってしまったけれど、学園では毎日顔も見られたし、……カオルは先に学園辞めちゃったけど、ベルから時々話は聞いていたし、ずっとこんな感じで、みんな一緒に繋がっていられるような気がしていたの。でもカオルは先にここを離れるのね。私たちも……学園を離れてしまえば、シャアラ達とだってどうなってしまうか判らない。だんだんこうやってバラバラになっていくのかなぁって思ったら……、ちょっと淋しくなって」
 ルナは両手を握りあわせた。知らず知らずのうちに力が入る。
「だってみんな特別だもの」
 家族のいないルナがようやく手にした絆。得難い、無くしたくないもの。
 わずかな沈黙をおいて、カオルが言った。
「でも、いずれお前も宇宙に出るんだろう?」
 穏やかな、諭すような声だった。
 ルナは目を閉じ――そして開いた。
「そうね。父さんみたいな惑星開発技師になることは私の夢だから」
 淋しがる心の中に、しかし誰にも譲れないものがある。
「そうなったらここを離れることになるわね。人のこと、言えないか。ごめんね、カオル。こんなこと言って」
 俯いたまま、ゆっくりとルナは立ち上がった。
「不思議だな」
 ルナの隣でカオルの声がした。一歩引いて立っている彼の顔はルナからは見えない。声だけが聞こえた。
「あの星では、ずっとここに帰ってくることを考えていた。なのに、時々あの頃に戻りたくなる」
「カオル――」
 ルナが振り返る。その時、カオルの制服の胸ポケットで電子音が鳴った。
 通信機を取り、二言三言短く言葉を交わすと、カオルはルナに向き直った。
「ミーティングが入った。宿舎に戻る」
「そう……」
 別れの時だった。
「ハワードから連絡は貰っていたが、ハワードとメノリの婚約パーティーには出られそうもないな。みんなには宜しく言っておいてくれ」
「うん……。残念だけど、仕方ないわね。カオルも気をつけて。無茶はしないでね。約束よ」
 エアタクシーに乗り込むカオルの後ろ姿を、ルナは見送った。
















 一年後。
 ルナの元に一つの荷物が届いた。長いこと運ばれてきたらしく、その小さな包みはあちこちが汚れ煤けていた。中に入っていたのは一枚のカードだった。
 再生機にかけると、部屋中に青白く輝く星団のホログラフが映し出された。
 チャコが遥か彼方の星系の名前を口にする。
 宇宙の果てから届いたホロメモリー。
 ルナは飽きずにその映像を何度も再生した。
 差出人名はなかったけれど、それはカオルが目にした光景のはずだった。
 大丈夫、繋がっている。どんなに離れていても。
 ルナは目を閉じた。緩やかに気持ちが溶けだしてゆくような気がした。

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