妄想倉庫「in the Air」

in the Air

 貸し与えられている宇宙船の一室でひとしきり意見を聞いた後、ルナは皆の顔を見渡して言った。
「コロニーに帰りましょう」


 どうにか重力嵐を退けたルナ達は、時期を同じくして母星に戻ってきたアダムの仲間達の大船団と邂逅、これに収容されて無事星への帰還を果たした。その後、タコの通訳もあって船団代表らとのコミュニケートに成功した一同は思いがけない話を聞くことになる。
 一つは、宇宙船提供の申し出。
 また一つは、コロニー帰還に際して、宇宙船で意図的に重力嵐に突入しこれをワームホールの代わりとする可能性の示唆。だが、この件については、あくまで理論上可能だという話であり、実際にどのような危険が伴うかは不明であった。しかも実行するなら、重力嵐が消え去ってしまう前に早急に判断を下す必要がある。次にいつ重力嵐が現れるか誰にも予測できないからだ。
 かくして七人は短期間のうちに再び重大な選択を迫られることになったのだった。


 リーダーとしてルナが「コロニー帰還」の決断を下すと、待ってましたとばかりにハワードが歓声をあげた。
「これでようやくコロニーに帰れるぜ」
「まだ帰れる決まったワケやないで」
 はしゃぐハワードに釘を刺すチャコ。お馴染みのやりとりを見守る皆の間にも、どこか安堵したような空気が流れていた。
 決をとるまでもなく、宇宙船提供の話を聞いた時から皆の意見は帰還の方向でほぼ固まっていた。しかし予見できない危険が多数存在する上、加えて最近ルナにこの星寄りの発言が見られることから、口には出さないものの、それ以外のメンバーの間で何となくルナの出方を伺う感があったのだ。
 が、こうして晴れて全員の意見が一致したことで、いよいよ帰るんだ、という気持ちが高まってくる。勿論、この先険しい道のりが待っているだろう。だが、今まで何度も期待を募らせては裏切られてきた「帰還」、それに向けてようやく具体的な第一歩を踏み出すことができるのだ。それだけでも、僅かなりともコロニーへの距離が縮まったような、そんな気分を皆が感じていた。――その場にいた、ただ一人を除いては。
「ルナ……、帰っちゃうの?」
 ふいに袖を引かれたルナは、そこに泣きそうなアダムの顔を見て、その、まだ幼い異星人の前にしゃがみ込んだ。
「ごめんなさい、アダム。コロニーには連れていけないわ」
 床に膝をつき、低い目線でゆっくりと話しかけるその声に悲しげな響きが混ざった。ルナにとっても辛い別れだったからだ。
「やっぱり生まれたところで暮した方がいいと思うの。それにアダムの仲間達も帰ってきたし、きっと――」
 しかし、ルナの言葉はアダムの鋭い叫び声に遮られた。
「嘘つき!」
 早速今後の予定について話し込んでいた皆が、何事かと振り返る。
「ずっと一緒だって言ったくせに、ルナの嘘つき!」
「アダム、何てことを言うんだ」
 咎めるようにメノリが言う。それにキッと傷ついたような目を向け、
「嘘つき! 嫌いだ、ルナなんか!」
 もう一度全身でアダムは叫ぶと、くるりと身を翻した。
「アダム!」
「待て、アダム」
 一瞬動きの遅れたルナに代わり、メノリが部屋を飛び出したアダムを追う。
「メノリ、アダム、待って」
 ルナが二人に続いて出ていった後、部屋にはしばし沈黙が落ちた。
「可哀想……アダム」
 シャアラがぽつりと呟く。鼻息荒くハワードがつっかかった。
「じゃあこの星に残るか? 僕はごめんだね。せっかくコロニーに帰れるチャンスなんだぜ。どれだけ待ったと思ってるんだ」
「実際問題として、連れて行くわけにはいかないの?」
「無理だろうな」
 シンゴの問いに、言下にカオルが応える。チャコが頷いて、
「以前とは状況が違ってきとるからな。この星にアダムひとりっちゅーならともかく、お仲間が帰ってきた以上、連れ出すわけにもいかんやろ」
「そっか……。アダム、泣いてたね」
「アダムも頭ではわかてるんやろけどな。こればっかりはどーしようもあらへん」
「……今はメノリとルナに任せよう」
 そうベルが言い、残された者達は複雑な表情で開いたままの扉を見やった。






「アダム、ここを開けるんだ、アダム!」
 ルナがメノリに追いついた時、メノリは、とある一室の扉を叩いていた。
「メノリ、私に話をさせて」
「ルナ……、大丈夫か?」
「ええ。――アダム、ここを開けて。私の話を聞いて。お願い」
 ルナは懸命に中に呼びかけた。メノリもルナに並んでアダムに声をかける。
 ややあって、ようやく扉のロックが外れる音がした。
 メノリは振り返ったルナの表情から何か察したようだった。
「私はここで待っている。何かあったらすぐに呼んでくれ」
「ありがとう、メノリ」
 小さく頷き、ルナは僅かに開いた扉の間から中に身を滑り込ませた。
 後ろ手に開閉パネルを探して扉を閉める。
 薄暗い部屋の中にアダムは佇んでいた。
「アダム」
「ルナ、さっき……ごめんなさい」
 ルナが名前を呼ぶと、俯いたまま、アダムが小さな声で言った。
「ワガママ言っちゃダメだって、本当は、判ってるんだ。だけど」
 顔を上げたアダムの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「僕イヤだよ。ルナと離れるの、僕イヤだ!」
 泣きながらしがみついてくるアダムを、ルナは抱きしめてやることしか出来なかった。


「アダム……ごめんなさい」
 泣き疲れたアダムの頭を撫でながら、ルナは呟くように言った。
「この星が好きなのも、アダムを家族だと思っているのも本当よ。それは信じて」
 そこはどうやら使われていない居住室の一つのようだった。寝台に腰掛けたルナの膝の上で微かにアダムが頷く。
 しばらくルナは何も言わぬまま、アダムの髪を撫で続けた。そして静かに口を開いた。
「これは誰にも話していないことなんだけど……、みんなと別れて宇宙船で重力嵐に向かった時、私とサヴァイヴは一つになっていたの」
「ルナ……?」
 怪訝そうにアダムが上体を起こし、ルナを見上げる。ルナは穏やかにその瞳を受け止めた。
「サヴァイヴの言っていたことを覚えているでしょう? サヴァイヴは私の力を欲しがっていた。正直言って、この力がどういうものか、どうして私にこんなものがあるのか、私にも判らない。でも私の力が何か役に立つなら……そう思って、あの時サヴァイヴに言ったの。私の力を取り込んで、って」
「…………」
「どうしてもこの星を守りたかったから。アダムのお父さんお母さんや、サヴァイヴが守ってきたこの星を」
 ルナの声に力がこもる。
 あの時ルナを襲った強い衝動――仲間より自分より何よりも、この星をルナに選ばせたそれは、ルナの父が生涯をかけた仕事に通じる道なのかもしれなかった。
「サヴァイヴが私の力を取り込んで、その代わり、私にはサヴァイヴのデータが流れ込んできた。各地のテラフォーミングマシンから送られ続けてくるこの星の観測記録、それにこの星の歴史……。それはあまりに膨大すぎて、最初は何がなんだか判らなかった。でもそのうち、大気の流れも海の満ち引きも、自分のことのように感じられた」
 ルナは、驚いたように自分を見つめているアダムに向かい僅かに微笑んでみせた。
「アダム、あなたがこの星のどこにいるのかまで、あの時、私は感じとることができたのよ」
「ルナ……」
「そして判ったの。やっぱりこの星はアダム達のもので、私達は私達の場所に帰らなければいけないって」
 ルナは顔を上げた。
「私は地球に緑を取り戻したい」
 真っ直ぐ前を見据え、自分に言い聞かせるようにはっきりと言う。
「アダムがこの星で生まれたように、私達の命は、元々は地球という星から生まれたの。人間のせいで荒れ果ててしまった地球を、元の青い惑星に戻したい。この星のように。サヴァイヴがしてきたように。きっと、それが『星の未来は人間に託す』と言ってくれたサヴァイヴとの約束を果たすことにもなると思うから」
「…………」
「だから……」
 そこでルナはアダムに視線を移し、少し言いよどんだ。が、心を決めたように言う。
「だから、私はこの星に残れない。アダムを連れても行けない。ごめんなさいね――アダム」
「ルナ……」
 アダムはルナを見つめ、そして俯いて小さくかぶりを振った。
 それから、ためらいがちに尋ねる。
「でも、それでルナは淋しくないの?」
 アダムの言葉に、一瞬ルナは虚を突かれたような表情を見せた。そして首を傾げ、困ったような笑みを浮かべる。
「アダムにごまかしは効かないものね」
 ルナは膝の上で組み合わせた両手に視線を落とした。
「そうね、確かにコロニーに帰れるのは嬉しいけど、淋しくないと言ったら嘘になる。ううん、本当はすごく淋しい。アダムと離れるのも、みんなと離れるのも」
 その表情に翳りが落ちた。コロニーへの帰還はこの星で生まれた小さな共同体の解体をも意味する。ルナにとって、そしてアダムにとってもそれは、かつて失い、そしてもう一度手に入れた家族をまた失うのも同然だった。
 しかし、ひとつ息をつき、再度ルナは顔を上げた。
「でも、みんなで過ごしたこの星での記憶があるから、きっとこれからも頑張っていけると思うの。みんなのこと、この星でのこと、私、絶対忘れない。これからどんなことがあっても。アダムのこともね」
「ルナ……」
 ふわりと笑いかけられ、再びアダムの目に涙が浮かぶ。
「僕もルナのこと忘れないよ。絶対に」
「ありがとう、アダム」
 一生懸命気持ちを伝えようとするアダムの言葉に涙をにじませながら、ルナは優しくその小さな体を抱き寄せた。


 寝台に並んで腰掛けたルナとアダムは互いの手を重ね合わせた。薄暗がりの中、二人の姿がぼんやりと光を放つ。
「アダム……見える? これがあなたたちの星」
 ナノマシンを通じて行う視覚の共有――今、アダムが見ているものは、サヴァイヴと一体化した時にルナが感じたこの星のイメージだった。
 目を閉じたアダムがうっとりと言う。
「きれい……」
「そうね」
 ルナは頷いた。誰に聞かせるともなく呟く。
「今ならサヴァイヴの言っていたことも判るような気がする。きっとサヴァイヴは自分が守ってきた世界を誰にも変えられたくなかったのね。サヴァイヴは誰よりも強く、この星のことを感じていたんだわ」
 そしてルナは、傍らのアダムをそっと見やった。
「あの時、ほんの一瞬だったけど、私はこの星になった。私の中にこの星は在るし、この星の中に私は在る。私はここにいるわ。アダム、淋しくなったら私を感じて。そしてお願い。この星を守って」
 ルナはアダムに寄り添うように目を閉じた。
 二人はいつまでも身を寄せ合うようにして動かなかった。

二次創作トップへ