彼は息をひそめ、あたりの気配を探った。
コロニーにいた頃は自分にこんな素養があるとは思いもしなかった。それが今では、足音を立てずに動くこと、素早く物陰に隠れること――もう慣れたものである。
彼は誰にも見つからないように目的の場所に移動すると、あらかじめ目星をつけていたそれに手を伸ばした。
その時。
不意に背後から彼を呼ぶ声がした。
「ハワード」
皆それぞれの仕事で出払ってしまい、無人のはずのみんなの家で隠密行動中だったハワードは、予期せぬところから声をかけられ文字通り飛び上がった。慌てて振り返ると、そこには川に魚を取りに行ったはずのカオルが立っていた。
「な、何だよ、お前」
「見逃すにも限度があるぞ」
「何がだよ」
強がるハワードの腕をカオルがぐいと掴む。後ろ手にしていたその手には、本来食料貯蔵棚に置いてあるはずの果物が握られていた。
「食料の収穫はたかが知れている。盗み食いなんかして、バレない訳がないだろう」
「ふん、悪かったな」
ハワードはカオルの手を振りほどいた。
「メノリが虎バサミを仕掛けろと息巻いている。適当なところで止めておくんだな」
そう言うとカオルはハワードの手から果物をひょいと奪い取りきびすを返した。
「あ、お前」
「これは口止め料に貰っておく」
呼び止めようとするハワードに振り向きもせず、カオルは梯子を降りてハワードの視界から出ていった。
呆気にとられてそれを見送っていたハワードだったが、はっと我に返ると口を尖らせた。
「何だよ、結局カオルだって食いたいんじゃないか。格好つけやがって」
が、怒りは長くは続かなかった。
「馬鹿だなカオルの奴。お前のはまだ熟しきってない。本当はこっちのが甘いのなのさ」
隠し持っていたもう一つの果物を取り出すと、得意げにハワードは笑った。
これしきのことで懲りるわけのない、彼なのであった。